凛として生きようよ(脱線事故におもふ)

連日の脱線事故報道で思うことがあり、一度も触れていなかったので、ここで触れてみる。確かに痛ましい事故ではあり、背筋がぞっとする。また遺族の皆様には痛ましくて言葉がない。。が、、
報道する方にも問題はあるのかも知れないけれど、実際に、JR西日本の社員に言葉で噛み付いたり、手を出したりする姿があまりにも多く見受けられることには、少々違和感を覚える。どんなに叫んでみても、どんなに相手を苦しめてみても、自分の尊い人は戻ってこない、というその現実を厳しいけれどももう少し冷静にとらえた方がいいのではないだろうか?今回のは事故だ。事故は誰にでもつき物で、ある日突然やってくる。何の前触れもなしに。。。事故でなくとも、ある日突然病気に襲われることもある。人間は皆刹那的であることと私は信じている。
だから事故にあってしまった場合、もちろん事故を起こした側は誠意をもって原因の究明、再発防止対策に当たらねばならないが、被害にあった側はその事実を冷静に受け止め、凛として生きなくてはいけないのだと思う。決して泣き叫んではいけない。。。。誰がいいとか悪いとかではなくて、、、、。
 最近とても尊敬に値すると思った人物に、イラクで殺されてしまったジャーナリストの橋田さんの奥さんがいる。といってもTVの中での姿しかもちろん知らないが、あの事件の時の会見でとても凛としているその姿にはとても感銘を受けた。旦那さんがしっかりした人だと奥さんもしっかりするものなのなのだろうか?それとももともと凛とした人なんだろうか?いずれにしてもとても感銘を受けたことには違いない。
 だから故人を偲ぶに当たっては、決して取り乱してはいけない。あまり品行の悪いところをさらせば、故人の品まで下がってしまうのだから。誰が決めた運命なのかはわからないが、人は運命には逆らえないのではないだろうか?

★私もいつも外出時は、事故にあうこと、体調不良に陥るかもしれにないことを心に留めながら生きている。部屋にいたって、いつ何時大地震が襲ってきて、次の瞬間真っ暗闇かも知れないことも今この瞬間にさえ思う。そうやって生きていると神経が擦り減ってしかたないので、なるべく考えたくはないのだけど、「まさか自分が!」という感覚は何が起こっても抱かないようにしている。他人に起こることは、自分のも十分に起こりうることであるから。それは誰も逃れられない人間の宿命だろう。